社会人MBA-技術者編

December 28, 2006

12/29-1/3のブログはお休みです。

本ブログを読んでいただいている皆様、タイトルのように本ブログが冬休みに入ります。12/29-1/3の休みでございます。

皆様良いお年を。


仕事収め

一部の製造業では生産を残しているかもしれないが、本日、多くの企業では、仕事収めであった。師走の通り、あっという間の1ヶ月である。
企業、大学院にて種々のことを学んできたが、やはり、最終的にイノベーションの源泉になりうる背景は企業文化である。それは組織に由来し、さらに、従業員に由来する。私はそう考えている。

卑近な例で言えば、誠実な人には従うものである。

多くの経営改善手法、開発効率向上手法も扱う者による。
導入することが目的になってしまえば、成果は小さい。極論すれば、それらの手法を用いて、如何に従業員の惰性を打破するかなど、組織の意識をカイゼンすることが第一歩である、といっても過言ではない。

それらは、砂上の楼閣であるがゆえ、少しの油断で崩壊する。製造業では事故(顧客において、また企業内において)に発現する。「間断なきイノベーション」とは「言うは安く行なうは難し」である。

現在では、競争環境は非常に厳しさが増しているゆえ・・・、

・・・リーダーは常に「真剣の一人」でなければならない。慢心、策略(悪い意味での)、成果の見栄、周囲との協調のなさ、などが目立つリーダーが増加すれば、その組織は暗くなるだろう。


December 25, 2006

チームは育つものか?

組織においてチーム、構成員の成長は欠かせない。時にリーダーは慎重に、時に構成員は大胆に成長していく。
シックスシグマでは、チームはプロジェクト形式であるため、即戦力のチームである。阿吽の呼吸で行動することもできるが、教育面は期待できない。また、教育目的のプロジェクトはチャンピオン(ブラックベルトの上位者で支援者:通常事業部長クラス以上)が嫌う嫌いがある。このような部門で通用するのか?というプロジェクトも同様である。

ある意味、チームは提示された課題を解決するマシンともいえる。おそらくは、プロジェクトのリーダー(ブラックベルト)を教育しているのであるから仕方ないかもしれない。
が、そのうち、善意の協力者はいなくなるだろう。

おそらく、将来のキャッシュフローを生み出す源泉となりうるか、という観点からは、シックスシグマのプロジェクトチームはそれに寄与しないことが多い。しかし、現存の課題も解決しなくてはならない。かといって、(将来のためのという意味で)製品・サービス開発におけるシックスシグマで聞こえてくるものは、悲鳴ばかりである。

シックスシグマを根付かせたいのであれば、将来、現在の課題をマネージすることである。そこまでしなくていい、少しの固定費用が削減できればいいんだ、と考えるのであれば、活動は会社から根絶することである。

「どうせ、またすぐ終わるのだろう・・・」
「やるだけムダ、適当にやったようにすればいい」

代表的な文言である。こうなれば、チームは育たない。リーダーは育たない。
また、活動は広がりすぎても、選出者(主にブラックベルト)の質劣化を招く。最初は厳選されるが、そのうち人柱になってしまうものである。

厳選したリーダーを忍耐強く育てることがチャンピオンの役割であり、かつ、あまり、干渉しないことである。おそらくは、その厳選された人の何割かは、放っておいても育っていく素質を持っている。また、そういう人を選ぶべきである。

シックスシグマは人材開発の側面も持っているのである。

・・・「桜守り」は木をいじり過ぎない。基本は放っておく。しかし、世話をする機会を逸しないように目は離さない。自力を大切にするからである。


December 24, 2006

写真-大阪



・・・大阪で撮った写真を並べてみました。


December 23, 2006

大阪まちあるき- アップル

『大阪まちあるき』なるものがアップルで提供されている。ipodで利用する。ipodといえば、通常は音楽プレーヤーであるが、最近は教育分野で活用され始めたりと利用範囲が広がりつつある。
『大阪まちあるき』はツアーガイドである。提供されているコースか以下の2つ。

○天王寺駅から大阪城にいたる上町台地周辺を散策する『真田幸村と大坂の陣』と名付けられたコース
○大阪市中央公会堂、綿業会館など、中之島・北浜界隈に立ち並ぶレトロな近代建築を巡ることができる『レトロ浪漫中之島タイムトラベル』コース

自身の育った土地など史跡を追うということは、確か小学生の社会科で行なった記憶があるが。町の名前の由来、いつぐらいから人が住みはじめたのか、特に関西は古都を有するので種々のことが再確認できるかもしれない。

今の日本の様相は、少し前からは考えられないぐらい発達している。いつの時代もそうであるが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」という。忙しい日々が続くこのご時勢、少しの休暇ぐらい時間に追われないようにしたいものである。

・・・街はすっかり、クリスマスですね。

『大阪まちあるき』:http://www.apple.com/jp/articles/report/travelguide/


December 22, 2006

ブラックベルトの悩み

やはり、いかなる問題も最終的には、組織、人に落ち着いていく。シックスシグマも例外ではない。たとえ、全社で展開することが決定していても、善意の協力者は非常に少ない。これは、通常の業務でもいえることである。
何か新しいプログラム(手法など)を導入する際は必ず、反応がおこる。たいていの場合、サラリーマンである以上「やるしかない」というのが一般的な反応である。時に、突然変異的に特殊な生成物が生まれることもある。多大な興味を持ち、その道のプロに徹し、そこを基点として種々に発展していくことがある。これは、通常の業務にも非常に良質な価値をもたらす。それは、周りに波及する。

副反応として、活動に反対することが起こってしまう。たいていの場合、彼ら彼女らの口癖は「所詮・・・」である。数十のプロジェクトを行ってきた経験から、この傾向は開発(研究所や設計部門)行為に従事する者に多い。彼ら彼女達は自身のノウハウ、進め方を持っている。誰でもそれを変更することは面倒なことである。特に、これまで種々の手法が導入されてきた生産現場では「またか」という思いになる。

この現象は、ある組織に何らかのエネルギーが加えられた後、種々の波長で散乱することに類似している。自然現象に近い。従って、処方箋はない。

そこで、見方を変えて、組織、人を観察することが有意義である。
「この事業部はこの活動を行うことで、誰が中心に動き、どのように変化していくのか」

本当に賢い人は、それが効果が薄い手法だと分かっていても、そこから、現在プラスアルファになるように活動を展開していくものである。ある意味潔い。否、cleverなのかもしれない。前進的な議論が展開できるので、不思議にもその組織(部でも課でも)は通常の業務においてもソツがない。

そこで、少し調べてみた結果:
そういった組織の長の傾向は「誠実」な人が圧倒的に多いことがわかった。
「あの人に迷惑はかけられない」
「あの人の負荷を小さくすることが私の責任である」
「この部分は自分がマネージし、あの人を助ける」
なかには、「あの人はこの事業の良心である」とおっしゃる方もいる。

・・・ベンチャー・キャピタルがスタートアップの企業に投資する際、その技術・サービスより経営者(もしくは経営姿勢、体制)を重視する傾向にあるように「お金」は人についてくる。「人的資源」もまた「人」についてくることは、忘れがちだがいつの時代においても不変の現象ではないだろうか。

photo (c) Maco

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December 21, 2006

シックスシグマのCOPQの概念

今年ももうすぐ終わろうとしている。そういえば、今年の干支はイヌだったような気がする。写真は我が家の愛犬。なにやら構えてます。イヌ好きの方にはMicrosoftから記事のようなソフトを入手してみてはどうでしょうか!?
師走はなにか、時間が経つのが速いように思う・・・

本題に入る。シックスシグマを運営するうえで、欠かせないプロジェクトの共通言語はCOPQである。cost of poor qualityの略で劣悪な品質が招くコストを意味している。シックスシグマはプロジェクトであるから、管理しなければならない。進捗状況やプロジェクト価値を技術屋のわかない言語で聞くより、どのフェーズ(シックスシグマは、定義(D)→測定(M)→分析(A)→改善(I)→管理(C)で運営される)、また、どれぐらいの効果を共通の言語化しておくことが管理しやすい。管理のしやすさは、意思決定を遅延させない(正確かどうかはわからないが)。

COPQは「見えるコスト」「見えないコスト」に分類される。従って、図のように氷山でよく例えられる。如何に見えないコストを見えるようにし、課題に取り組むかがポイントになる。その技術は企業独自のものとなる。

この概念は非常に有効で、チームのメンバーに具体的に取り組み成果を伝えることができる。QCや小集団の活動が形骸化した現在では、工程を改善することに意味を見出すことは稀である。自身が行っている行為がどれほどの価値に結びつくかを伝えることは、ブラックベルト(シックスシグマでのプロジェクトにおけるチームリーダーの呼称)の義務とも言える。

この計算は会計上のものとは異なり正解がない。見えないコストは推定するしかないからである。この作業が重要である。推定するには、コストの種類にもよるが、種々の活動(主活動もしくは部門)に着目しなくては算出できない。お金の流れや業務の価値を把握することができる。時には活動の順位付けや資源の配分も行うこともある。

・・・従来と違った観点から観察することも、変化し続けなければならない現在では必要であろう。

<参考>
Joseph A. De Feo, Zion Bar-EI, “Creating strategic change more efficiently with a new Design for Six Sigma process”, Journal of Change Management, 3, pp60-80 , 2002.を参考に図を作成。

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December 19, 2006

シュンペーター理論

儲けるものは模倣される。これにより、資源利用の効率性は高まっていくが、いずれは、利潤がゼロに収束であろう。

そうして、資本主義経済は力をなくし、社会主義に道を譲ることになる、とはマルクスである。

1940年代、資本主義、社会主義の優劣に関する議論は盛んであった。しかし、考えを異なる軸で考えたのはシュンペーターであった。

*イノベーションなどの概念はこちらでも詳しく説明しています。

「人口増加など生産要素の増加がないとき、どうして経済は停滞しなかったのか」
「競争があるにも関わらずなぜ利潤は消滅しなかったのか」

と問い、生産要素の結合のしかたが変えられた(新結合)、と帰結した。

このような行為を「革新」「創造的破壊」と呼んでいる(「革新」はイノベーションとされる)。分類すると:

①新製品あるいは新品質要素の生産
②新生産方式の導入
③新市場の開拓
④原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
⑤新しい組織の実現
である。

つまり、「革新」を不断にもたらす「企業者」こそが資本的主義経済発展の原動力となるのである。

注意しなければならないのは、例えば特に①~③。この行為のことを言っているのである。成功を保証しているものではない


ともすると、しっかりしたボトムアップであれば、経営者の役割は⑤ぐらいになるであろう。最近R&D費用を種々の方法で削減することが試みられているが、経営費用も削減の対象となるであろう。


企業の能力が充足されるのであれば、従業員ひいては経営者にいたるまで固定費用は安いにこしたことはない。出番がいつくるともわからない食客を雇う余裕はないのである。


・・・「革新」は未知の世界への挑戦であるから、そこには、必ず「不確実性」「リスク」が存在することを忘れてはならない。



*2010-8-4に文章を一部改訂。
*イノベーションなどの概念はこちらでも詳しく説明しています。


<参考>
宮本又郎 他『日本の近代 11 企業家たちの挑戦』中央公論新社, 1999, pp11-18.

*この書籍は、主に明治に出現した企業家に関する書籍です。体裁もよく、内容も当時の企業家達の奮闘などが垣間見れます。中古で数百円であれば、お薦めです。

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December 18, 2006

Picasa

最近、ブログの影響もあり、写真を撮る機会が多くなった。改めて、「写真家は素晴らしい」と思うものである。素材、天気、・・・忍耐である。

手持ちのコンパクトデジカメをCanonのpower shot G7に買い替えたが、便利である。私は全くの素人なのだが、腕がないので、デジタルカメラの機能かPicasaのような編集に助けてもらおうかと・・。しかし、このPicasaも便利である。

私でも写真は一回に非常に多く撮る。Picasaの編集機能は非常に重宝している。

・・・便利なものである。

参考URL:
年末年始の写真シーズンに by Picasa チーム
キヤノン Power Shot ラインナッ


December 17, 2006

イノベーションの採用のパターンを予測する

おそらく、いかなる技術者、経営者が欲する能力はこの行為であろう。これまでの研究から得られていることは、あるS曲線上のものの予測は容易であるが、革新的な製品については困難である、ということである。
一般的には、
①顧客および市場調査
②ブレーンストーミング
③デルファイ法もしくは専門家の意見
④シナリオ開発
がよく用いられている。
が、やはり、研究開発というものは、成功率10%程度のものである。どうしても、目利きは必要である。現在の企業体系で、団塊の世代がリストラ、もしくは定年を迎えはじめ、「係長」がいない。組織の潤滑油である彼らの不在は、どうしても機能間で他部署と摩擦が生じさせる。摩擦が生じると、基本的に成果が得られるのは遅くなる。「係長」を進化させ、プレイング技術マネージャーなるものが必要である。いくら優秀な技術者がマネージャー職についたとはいえ、数年たてば、”勘”は鈍るものである。特に開発がらみであると、数年のブランクは死を意味する。しかしながらジェネラルマネージャーは必要である。「管理」「調整」は組織には欠かせない職能であるからである。

これらを効率よくするものは、標準プロセスと共通言語である。
標準プロセスはその企業が採用している、問題解決プロセスでもいいし、企業独自のものであってもいい。標準プロセスは管理を円滑にする。研究開発者、設計の技術論は、はっきり言ってわからない。彼らにそれを求めなければ、技術用語を一般用語に翻訳しない。それほどの能力がある彼らに、現在の状況は標準プロセスのどの段階にあるのかの説明を求めることは意外に容易なことである。

しかしながら、一般的に研究開発者、技術者は、それを控えめに言う。コストは多めに見積もる。何かはわからないが、不確実なことへの対応として定量化されていないので多めに見積もることが、最も安全であるからである。これはこれで、正論であるが、無期限に資源は投資できない。

ここで、共通言語として、「お金」を用いる。シックスシグマでいうCOPQ(Cost of poor quality:劣悪な品質がもたらすコスト)の概念である。研究開発ではアイデアの段階での価値評価を行ない、それに適用する。当然、一般的な評価を用いると、年限は必要なインプット事項であるが故、無期限採用は棄却できる。評価方法はアイデアの技術連続性により異なるであろう。

・・・企業の開発は「製品のアウトプット」が先にくる。それを満たす技術は必ず幾つかある。要は、開発行為は、いくつのオプションを持つかが最大の備えとなる。その累積加算価値がチームの無形資産価値であることはいうまでもない。

<参考>
イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメントpp231-235

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December 16, 2006

小林一三(1873-1957)

小林を考える際、挙げなければならないキーワードは”first mover”(一番手)である。ある製品・サービスを発明、開発したにせよ、企業的に成功させるには大規模な投資が必要である。

構想があったにせよ、一番手企業の成功をみて、「あれはうちが考えたんだ」といってもはじまらない。大型投資をしなかった時点で、その経営者は「私は無能である」といっているようなものだ。

鉄道、沿線事業、百貨店、宝塚・・・いずれのコンセプトの発明者ではない。しかしながら、経営において、最も評価されるのは、first moverである。コンセプトの発明は従業員が評価されることだからである。発明は、経営ではない。

阪急百貨店:関西では高級百貨店のイメージが定着している。それは、鉄道が宝塚、芦屋、夙川などの高級住宅地に密接しているかもしれない。否、一三のコンセプトからいえば、「ターミナルに開設すれば、先発百貨店の客吸収能力」を出し抜ける、らしい。

「高級」はさておき、当時は呉服業出身が百貨店では多く、一三は素人同然と見られていたこともあり、慎重にことを進めていった。阪急ビルディング建設後、種々検討し、阪急百貨店開設はその9年後であった。

食堂:百貨店といえば・・・食堂!私も小さな頃は・・・いやいやそこまで歳はとっていないが・・・当時おお賑わいであったことが知られている。阪急では、「いらっしゃいませ」にはじまり、5,6程度の台詞以外、客に話しかけることを禁じられていた。

当時としては味気ないことだが、ファースト・フード店なみのマニュアル操業である。

鉄道:箕面有馬電気軌道・・・箕面といえば紅葉や滝、有馬といえば温泉、ここを結ぶのは遊覧鉄道である。お客が見込めるのか。その鉄道は統括式制御器を早くから装備していた。そうである、紆余曲折があったにせよ、いずれは京阪神を高速で結ぶ構想があったのである。

当初、梅田・箕面・有馬・宝塚・西宮を路線としようと計画し、あわせて、住宅地の開発・販売に池田、豊中、岡本、千里山、甲東園、稲野(現伊丹)を考えると、現在の路線に納得いくことが多い(京都線は京阪と合併)。のちのことになるが、関西学院、神戸女学院にも土地を格安に提供している。

ちなみに、箕面有馬電気軌道は有馬まで延長予定であったが、資金難のため宝塚に温泉客誘致を図ったのである。

こういった背景があり、現在の阪急文化が形成されたのかもしれない。

・・・この分野において、ことの淵源をたどれば、発明者はどこかの企業にあたるだろうが、事業で成功させた淵源を辿ると小林にしか行き当たらない。

<参考>
宮本又朗, 『日本の近代 11 企業家たちの挑戦』中央公論新社, 1999, pp374-388.

photo (c) Maco


December 14, 2006

製品開発のプランニング

製品開発のプランニングに答えがあるかどうかといえば、おそらく企業の特殊解で一般解はない。このような場合の論述はたいていの場合、失敗しない方法である。本日の記載もそうである。

経営者は利益を欲しがる。
商品企画はシェアを欲しがる。
技術者は時間を欲する。

一同に会した面々で行なわれるのは戦争でしかない。お互いが宇宙人のように思え、排除しようとする。シェアが伸びれば、利益が増加するのか?もしかしたら、生産設備を増強しなくてはならない。そうなると、償却しなければならないので、まだ足りないかもしれない。時間があれば、技術を追求できるか?開発は博打である。明日出来るかもしれないし、10年出来ないかもしれない。

経営者は「技術運営がわからず、技術管掌役に任せている」、というのみでは、技術者に失礼である。しかしながら、経営がわからない技術者もまた、経営者に失礼である。「戦争」が起これば、お互いに疲弊するだけである。

ひとつの指針がある。
「達成するのに十分な時間を要する、もしくは、あまりに性急な(技術に無理解な)計画」をプランニングしている企業、事業は永くは続かない。現代において、計画、さらには、戦略は柔軟なものでなければならないからだ。

技術者は納期までに、出来うる限りの結果を逆算しなければならないし、商品企画は最も効果的な宣伝、販売計画を策定しなければならない。経営者は時にベクトルを変更しなければならないこともある。

・・・システムに対して、自然科学が、入力→出力の解析であるならば、開発(設計)は出力→入力の逆の問題である。
(要求動作、性能が先にあり、どうすればその出力が達成できるかのアプローチなので)

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December 13, 2006

なぜ売れない、高まる新製品リスク

日経ビジネス2006.8.7 14号では、『「主力」「大型」もまさかの空振り、なぜ売れない、高まる新製品リスク』と題して、企業が送る「自信作」の空振り具合を掲載している。その中に、カシオ計算機の「エクシリムプロ」が掲載されていた。いわゆるEXILIMシリーズである。このシリーズはEX-S1(写真)に始まり、2002年6月発売当初は、「これはすごい」と当時、デジタルカメラ購入を考えていた私を大いに悩ませた(学生時代に初めて手にしたデジタルカメラはカシオのものだったのも大きい)。結局、他社のコンパクトカメラを購入したが、周りには購入した人もいた。そのカシオが「自身を持って」発売したのが、「エクシリムプロ」という中・上級者向けのデジタルカメラである。

日本写真工業会の出荷台数、出荷金額から、単価を求めれば、年々一台あたりの単価は下がり続けている。

しかしながら、今年、同様の高級モデルとして、キヤノンからpower shotG7が登場した。量販店では納期待ちが多く、品薄である(写真下)が、最近G7を購入した。ブログをはじめて、写真を多く撮るようになり、手持ちのデジタルカメラを使用するうちに、だんだん物足りなくなってきていたことが背景にある。

このようなことは、良くあることである。私も、それほど!とは考えたなった技術が、経営的に貢献し、!!と感じたものはほとんど売れなかったこともある。

この現象は説明が困難であるが、キヤノンとカシオのスタンスを考える。キヤノンは高級機種に一眼レフを有している。G7のような高級デジタルカメラは、一眼レフユーザーにとってはおもちゃかもしれない。このことはニコンも同様である。

キヤノン、ニコンにとって高級デジタルカメラと言えども、最も高価な一眼レフに誘引するための商品なのである。その点、カシオではその先を考えると、キヤノン、ニコンに比べ不利である。

カメラ自体を「画像記録機器」と考えると、エクシリムプロのポジションは中途半端なのかもしれない。ユーザーの評判は「非常によかったのに」・・・。

家庭をもつキヤノンのユーザーが言っていた。
「子供を多く撮影するけど、キヤノンで撮影すると、プリントアウトしたものにノイズがすくないんだよな」

・・・売れ行きは商品力でなく総合力がものをいう時もある。。。

<写真>
カシオHP、キヤノンHPより。


December 12, 2006

再びイノベーション

「イノベーション」という言葉はよく耳にする。たいていの場合「技術革新」とされていることが多い。自分がMOTを修学しているからというわけではないが、自身の勤める企業においては、極力、使用を避けている。自身が開発業務であることも寄与しているからであるが、必ずといっていいほど「売れる素晴らしい技術」と誤解を与えてしまうからである。いわゆる、これまでに手を変え、品を変え、何度となく登場した「銀の弾丸」扱いである。

これらのことは、学者の中でも困惑しており、「イノベーション」とは単に「何かを新しくする」、つまり「変化」の意味合いで使用することが普通である。従って、イノベーションをビジネスにどう結びつけるか、という議論になる。

概ね、クリステンセンの著書(下)でも『イノベーションのジレンマ』を参考に語っているとはいえ、彼も著書の中で、「技術革新」だとは特定していない。

既存企業の対応可能性に①持続的(sustainable)、②破壊的(disruptive)
技術の連続性に関して①漸進的(incremental)、②抜本的(radical)
を分類し、これら2×2のマトリクスで説明される(バリューネットワークは略するが)。



私は、『イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント』をよく利用している。論文集の総まとめみたいなもので有用である。クリステンセンの書籍はビジネス・スクール入学前後に読んでいた。
(で、この程度の理解?のご批判はなしということで・・・)

どうも、不連続な技術が破壊的である、という不文律がある。議論でもそういうことは多々ある。これはとてもsensitiveな問題である。技術といっても”定義”によって分類が変わることがあるからである。
例えば:”電子レンジ”を考えたとき、そのS曲線上に”ヘルシオ”はないが、”電磁調理器”と考えた場合、調理機能が追加されたもの(現モデル)では、S曲線上のものである。すなわち、ハイエンド。不連続な技術による持続可能な対応である。現に、同商品は同じ事業部から生まれている。

破壊的とは、低品質、低価格の製品が既存市場を占有してしまうことが特徴で(いずれ機能は既存商品を追い抜くため既存企業が対応できない)、技術は連続的、不連続的は問わない。

例えば、クリステンセンはハードディスクのサイズを小さくする連続的な(漸進的)技術により、既存企業が次々に対応できない様相を明示した。



類似する考え方にブルーオーシャン戦略がある。類似点は、既存の競争軸を変化させる、という点にある。が、それらをもたらす技術の連続性は商品による。また、アーキテクチャ製品に関しては、更なる考察が必要となる。医薬品のように商品が単独の特許で保護されていないからである。さらには、イノベーションの様相(メーカー主導でないという意味から)ヒッペルが種々に論じている。

ある製品の変化の源泉はどこにあり、それはどのような技術的ないし企業対応的特徴を持っているのだろうか。そして、これらから何をすればよいのか。

これらを真剣に考える者が、書店に足を運ぶと、玉石混交でよくわからない。
ここに挙げた書籍でさえ、専門書とまではいかないだろう(論文の参考文献にはなるべくなら掲載しない)。

ところが、意外に日本までを含めた研究は(日本を研究したものはよくある)、少ない。例外を入れると、結論が言いにくいのである。”記録メディア”という点では、テープ、MD、CD、DVD、HDをひとつの企業から商品化されているし、上の電磁調理器も、ウォークマン→半導体オーディオも、一昔のフロッピーの小型化も・・・日本では、主役が劇的に変わったことのほうが少ない。よく対応しているといえる。

・・・日本の技術者よ、研究開発者よ、この件に関しては日本企業の方が有為である。流行の言葉で流されてしまう経営者には、その研究に日本の企業が入っているか問い合わせた方がいい。もしかしたら、経営者の方が対応の仕方を忘れているだけかもしれないからだ。

photo (c) Maco

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December 10, 2006

大阪紡績-専門経営者の淵源

「技術者が経営に参画する」-おおよそ一世紀も前、このようなことは考えられないことであった。技術者は技術同様、工場に参入した機器が安定に操業を始めると、当時の経営者は技術者を必要としなくなったからである。機械が稼動すれば、不要なのである。

しかし、彼らが参画すると、合理的な経営方法が採用され、大いに発展に寄与したといえる。この淵源を日本で辿っていけば、大阪紡績、山辺丈夫(1851-1920)、菊池恭三(1859-1942)は避けられない。彼らの特徴は、イギリスでの経験である。この当時、研究されている多くの人物での海外経験率は極めて高い。銀行をはじめて設立した渋沢もまたそうである。

海外での進んだ経営(工業的なものも含めて)を日本へ持ち帰り、率先して導入している、ということが大きな共通点かもしれない。

合理的な経営方法も見受けることが出来る。
例えば、菊池の経営方針は物心両面の徹底した合理化である。
「極力ムダを排除して生産の昂揚と資本の蓄積に力を注ぐことを要請した。社員が鉛筆、ボールペン一本の支給を受けるにも、今まで使っていたものを提示して使用できなくなったことを証明することを求める程であった。」

ここまでとはいかなくとも、この考え方は現代でも生きている。ムダの排除は財務体質を良好にするとともに、社員への教育においても最適な考えである。最も有効な時期は、当時のように、欧米に技術が劣っており、どこを模倣したら良いか把握できており、完全なる追随者であるシーンであろう。

これを全面的に打ち出すことは、現代の経営では全体ではなく、部分である。でなければ、「品質」の方向性が予測困難になっている、また、生産している製品も多種多様である現代において、これほどまでに経営教育が重要視されるはずがない。

経営方針(手法)は市場、技術、社会を鑑みて策定するものである故、現代では、柔軟性のあるものとなる。状況に応じて変化させていくものである。従って、一般解はない。企業の特殊解であるが、ムダの排除が経営方針の序列で一番になることはない(ピュアプレイ企業はありえるかもしれないが)。ましてや、全面的に行なうことは従業員が疲弊するだけで、それこそムダである。

・・・もし、一般解だと信じて、全面的に進めている企業があるのであれば、一世紀も前の亡霊にうなされることであろう。

<参考>
日本の近代 11 企業家たちの挑戦pp248-278.

photo (c) Maco

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December 8, 2006

三洋の携帯用電池

三洋において、おそらくは事業の中核となる電池部門に問題が発生した。飛び火という表現が正しいかも知れないし、そうでないかもしれない。電池に関しては、ソニー業績を下方修正でも述べたが、日本のお家芸で、リチウムイオン電池では三洋がトップシェアである。主な生産拠点は兵庫県の洲本市(淡路島:三洋HP)であるが、今回の対象は、三洋とジーエス・ユアサインダストリーが共同出資する三洋ジーエスソフトエナジー(京都市)である。

事故の経緯、内容や、本件に関わる2006.8問題はWikipediaに詳しい。

そもそも、電池、主に日常使用する乾電池、ニッケル水素電池、今回のリチウムイオン電池などは、化学エネルギーを電気的エネルギーへ変換する化学電池である(太陽電池などは物理電池)。乾電池でさえ、短絡してしまえば、電池サイズによるが数Aの電流が流れてしまう。ましてや、リチウムを利用した電池は、利用できる地球上の資源で電池としての能力が最大のものを使用しており(金属リチウムは安全上使用していないが)、記事によれば、短絡時には500℃付近まで温度が上昇するという。

身近には多くの電池が存在する。今の机の周りをを見渡すと・・・
PCにはバックアップ用、リモコン、壁掛け時計、目覚まし時計には乾電池、ノートPC、iPodにはリチウムイオン電池、髭剃りにはニッケル水素電池、腕時計(クォーツ)にボタン型、・・・いったいどれだけあるのだろう・・。ものすごいエネルギー量である。

当然、これらのエネルギーは、電気的に利用されるが、エネルギーということは熱にも変換されてしまう。また、電池の電圧にもよるが、水から水素が発生するなど(主に乾電池の場合;燃料電池は逆にこの経路を利用している)超えてはいけない理屈上の閾値がある。

電池は便利であるが故、否、必須のデバイス(この表現は?だが、構成部材という意味で)であるゆえ、これだけ複雑になってくると、使用法や危険性などわかりづらい。顧客教育にはこれだけ一般化すると相当な資源を要する。そのスピードが、アプリケーションの発達速度が速すぎるため、追いつかない。

メーカーはそれに対応しながら、中国、韓国などの追い上げを振り切らなくてはならない。

ソニー、三洋の件は、そのスピードに対応する限界のシグナルではないだろうか。かといって、理論上リチウムイオン電池を超える燃料電池には技術、コストに課題が残り、リチウムイオン電池と燃料電池のハイブリッド仕様にしても規制が問題になる。

この問題を抽象化すると、日本の製造業が成し得た「高品質」による利益抽出のモデル(:良いモノを生産すれば売れ、売れれば、得意の生産効率を向上させ、固定費用を削減する)が劣化しているのではないだろうか。確かバブル崩壊後はこの議論が進んだこともある。

・・・メーカーは「品質」の定義から見直さなければならない。

<記事>
「「電池の三洋」に痛手 経営戦略に影響も 携帯電池破裂」
朝日新聞2006.12.8朝刊13面
*リチウムイオン電池に関しては三洋、ソニーの件も含め、Wikipedia(キーワード:リチウムイオン二次電池)にアップされている。


December 7, 2006

イノベーションの普及の過程

普及に関する研究は、イノベーションの採用の速度の何が影響するのかを見出そうとするものである。典型的にはS字(ロジスティック曲線)によって表現される。
初期の採用の速度は遅く、採用者は<イノベーター>、次に採用するのが<早期採用者>、そして<遅れた大多数>、最後に<落伍者>を残し、曲線はサチレートする。種々の分野で研究がなされているが、ロバストな一般的モデルを見出すことに成功した研究はない。

「薄型TV市場でプラズマ苦戦、液晶が大画面攻勢・民間調査 *1」では、プラズマテレビの鈍化が伝えられているが、システムを「テレビ」と定義すれば、テレビの普及はすでに鈍化している。液晶、プラズマは技術ブレークスルーのハイエンド化に過ぎない。つまりは、「買い替え」であるから、サチレートするのに5年もかからない(英国のカラーテレビ普及が浸透率で70%を超えるのに約12年である)。

おそらく、語弊がなければ、一般的なモデルを見出すことは、出来ない。
ヒッペルの研究(*2)が示唆するように、そもそもイノベーションの源泉自体が多様であるから、普及を測定すること自体が困難になる。データマイニングのように、数万の商品を分析、しかも、源泉を指定しながら・・学者向きではない研究である。行うとしても政府の協力は欠かせないだろう。

特殊解は商品を特定すれば、見出されている。それらは需要、供給サイドに分類される。

なぜ、困難なのか?テレビの例でも見たように:
①システムの定義が困難である。
②イネーブラーがシステム周辺にあり、普及し始めるトリガーの見極めが主観的になってしまう。

①は定義次第では、テレビも「情報提供機器」となってしまえば、携帯電話と合算される。狭くすれば、データ欠如の可能性、広くすれば、ノイズが大きくなってしまう。②では、テレビでは、液晶、プラズマは随分と昔から研究されている。しかし、社会状況が、環境に配慮するようになり、省電力、指定有害物質の低減、もしくは削除などの要請により後押しされた嫌いがある。わかっていることだが、ブラウン管の映りは悪くない。液晶、プラズマに劣ることはない。大きなテレビを望めば、設置スペースが必要になるだけである。というと、住環境の変化もシグナルである。つまり、<イノベーター>や<早期採用者>がなぜ採用したのかは、因果関係不明なのである。否、因果関係複雑性かもしれない。

・・・企業では、一般解は必要ない。しかしながら、特殊解を導く能力を有している企業は少ない。


<参考>
*1:NIKKEI NET http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061206AT1D0608F06122006.html
*2:E・フォン・ヒッペル 榊原清則訳『イノベーションの源泉』ダイヤモンド社,1991.
書籍:イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント

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December 6, 2006

温故知新

現在、研究している件に関して、今から約25年前の文献を読んだ。しかもそれは、それまでの十何件かの彼の文献をまとめたものであるという。MBAの研究ではなく、自身の業務に関してであるのでサイエンス分野である。

それが、素晴らしい。

よく考えてある。仮説の構築、検証実験、先端的というよりロバストである。この当時の科学の状況から考えると、現在でも通用する理屈となっている。現在になり、種々の分析が可能になり、当時の分析しきれず、考察もしくは仮説で終わっていた内容が、結果として証明されている。最近、知見は多くなったが、いささか、thinkするというよりsearchすることに主眼が置かれているように思う。

やはり、研究、開発は己の仮説を、適切な検証方法で検証し、採択もしくは棄却しながら考察を深めなければならない。これらの行為は、独善的であることが良いのかもしれない。サイエンスは実験検証が主流なので、結果が分かりやすい。会議で息巻いても、データがひっくり返すことは多々ある。

研究の進め方などのhow to本は多々あるが、それは、これまでとられてきたアプローチを分類したものである。学位には期限があるので(修士、博士など)、その期間で終了することのマネジメントも重要であるが、なんと言ってもアプローチが最も重要である。これは、社会科学系も変わらない。産業毎に計量する、ケーススタディを行う、など、これらの選択はリサーチクエスチョンならびに仮説による。

「仮説を正しい方法で検証する」、簡単なことだが、意外にその行為が出来ないことが多い。

新商品のテスト、関東地方で売り出す食品を関西地方でテストマーケしての結果が反映されないことは自明のことである。

・・・「頭がいい」とは「極めて論理的な行為の状態」をいうのかもしれない。

<参考>
社会科学系大学院生のための研究の進め方―修士・博士論文を書くまえに


December 5, 2006

イノベーションの普及に影響を与えるその特徴

イノベーションの採用の速度と程度に影響を与える要素を見出す研究において、イノベーションのマーケティングに関するひとつの問題に、「イノベーションの普及に影響を与えるその特徴」がある。それは以下のようなもので:

①相対的な優位性
②適合性
③複雑性
④試行可能性
⑤観察可能性

である。①はどのイノベーションが優れているかをみなす程度、②採用者の持つ価値、経験とイノベーションの適合性、③はイノベーションの利用、理解の困難性、④はイノベーションを(限定的に)使用できる程度、⑤はイノベーションの結果が見える程度、と説明される。

これらのことを考察するに、技術、市場、組織の関連性は欠かすことが出来ない。イノベーションの適合性は、適合度の度合いでイノベーションの提供者は組織と相互作用が起こってしまう。通り一辺倒の組織から、打ち出の小槌のように種々のイノベーションは提供されない。

例えば、研究所と事業部ではたとえ、同一製品を扱っていたとしても、提供するイノベーションは異なるであろう。さらには測定系(観察が可能)がなければ、成功なのか、失敗なのか、また、今後どうするのかという判断が下せない。当然、顧客に理解されない複雑なイノベーションは採用すると、顧客の教育に費用がかかる。一般消費財では相当な広告費用となるだろう。

採用者は多くのことに関心を持たなければならない、と安っぽくなってしまうが、要は採用者であれ、研究開発者であれ、マーケッターであれ、インプットされた情報に対して、如何に多くのアクセスポイントを持ち、考えの経路を判断できるかである。

それは、どのように形成されるかは説明困難であるが、組織にしろ個人にしろ、学習と経験である。

・・・経験(K)、勘(K)、度胸(D)といわれていたKKDは、センス(S)、経験(K)、データ(D)のSKDに変わりつつある。

<参考>
イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメントpp225-226

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December 4, 2006

負けないこと

負けないこと、意外にビジネス上では「勝ち」に行く嫌いがある。私が技術屋だからであろうか、負けないことの方が重要に感じている。研究開発を行なっていても、確かに、現在行なっているメカニズムの解明は、その分野では高く評価され、「勝ち」だと思われる案件を研究開発している。しかしながら、商品ということを考えた場合、顧客にその技術にプレミアムを要求することは出来ないのであれば、ただただ、リスクのみを背負うことになる。新素材・・・聞こえはいいが、顧客の立場からいうと、「誰も使ったことがない」ものである。ある条件がそろえば、不満足を引き起こすかもしれない。

それに比べ、研究開発的にはあまり高く評価されないが、古くからの研究者たちによって構築された理論に沿った、効果は薄いが、安価で、副作用も少なく、半年を待たずに商品化できる案件もある。

製品機能では、(前者)>(後者)だが、(機能拡充による効果費用)-(リスク)=(前者)<(後者)である。どちらともこれまでと競争軸を若干シフトした商品であるから、販売はそこをセールスするであろう。ならば、私は後者を選択する。

前者の商品化を遅らせることは、現在のところマイナスではない。後者を商品化するなかで、前者の副作用など顧客不満足を解消する実験をひたすら重ねることは、リスク軽減に繋がる。

やがて、後者が浸透してきたところで、やや機能が優れる程度だが、「新素材」を前面に商品化を行なう。
「なんだ、それって当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが、組織の中に属していると、多くの企業が病んでいる「新製品シンドローム」にかかってしまい、少々の効果では、技術者自身(私自身)が納得しなくなってくる。

「これぐらいでは、駄目だ」との根拠のない背景から、ブレイクスルーへ突き動かされてしまう。
これは、効果にとらわれすぎ、ラディカルな技術を見逃す副作用となって現れてくる。

ご存知の通り、これは成熟期における製品開発の一例で、成熟期の寿命を延ばしつつ、次なる技術のサーチの範囲を広げる一般的な方法である。

これを「負けないこと」であると私は考えている。

・・・危急存亡の危機でない限り、技術者がリスクを犯してはならない。最近の多くの企業の技術的不祥事は対岸の火事ではない。

photo (c) Maco


December 3, 2006

アーキテクチャ製品を創出する

ここでアーキテクチャ製品とは、既存技術の新たな組み合わせを新しい市場や応用のために用いることである。この時重要な二つの視点は、①消費者市場をセグメント化する、②ビジネス市場をセグメント化する、である。いわゆる、B to C、B to B である。この行為は非常に注意を要する。極めて論理的に進めなければならない。

例えば・・・
あるメーカーが自身を持って市場に望んだある製品がある。研究、テストマーケティング、その企業にとっては申し分ない準備であったが、ライバル企業、消費者団体のテストの結果、ある条件では顧客不具合を引き起こすことが判明し、回収を余儀なくされてしまった!
原因は:
→テストマーケティングの地域が、本来商品を発売する地域の代表的性質を示す地域ではなかった。
→大々的に発売した商品はある条件化のもとでしかその効果を発揮しなかった。

B to Bでは、多くの人が購入プロセスに関わるので複雑である。必ずしもエンドユーザーであることはない。顧客要求がわかりやすいので開発設計しやすい反面、競合も同条件であることが多く、デッドヒートとなることが多い。また、そのように思わされていることが多く、実際は、2社に価格を争わせているケースも少なくない。影響度の高い人を見極め、製品毎に製品設計の特性をクロスファンクショナルに定義、評価することである。

つまりは、技術と市場の関係性を当該企業が把握し、適切な製品を適切な顧客に販売することである。

・・・当たり前のようだが、あなたの組織は何か企業特殊のバイアスがかかっていないでしょうか?

<参考>
イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメントpp206-224

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December 2, 2006

渋沢栄一(1840-1931)

技術経営を学んでいると、どうしてもそのルーツを学習する。古くはシュンペーターにはじまる・・・。しかしながら、日本において最も興味を惹かれるのは、幕末から明治にかけ多くの企業家である。「明治日本におけるビジネス啓蒙の企業家活動を通じて有為な実業家育成に多大なる貢献をした企業の先駆け」といえば、渋沢、福沢である。

時は幕末、渋沢は一橋家に仕官している。武士でない彼を重用した慶喜に対しては終生その恩顧を忘れなかった。明治維新により徳川宗家の没落を目にした彼は、徳川慶喜に拝謁し涙したという。

彼の功績は、第一国立銀行の創設など、種々の資料により詳しいが、合本主義に集約される。商売に関して、家族、親族しか信用できなかった時代背景の中では、画期的なことである。現在では、株式会社制度ともいえる。

マージナルとは、諸階層が重なり合う境界的な意味であり、当時としては、士農工商の秩序にはおさまらない存在である。それは、彼らの価値体系が自由であり、得てして変革期のイノベーションの源泉は、マージナル・マンであることが多い。

彼もまたそうであった。
彼の経営思想は儒教倫理を基にした「道徳経済一致説」である。すなわち、私的営利行為と公的行為を結び付けなければならないもので、私的営利行為の社会的正当性は認められなかった。のちにこの論理は破綻するが、現在、今一度、振り返っても良いのではないだろうか。

何度も記載するが、企業の競争軸は経済軸から人道軸へシフトする、というのが私の持論である。いずれ、企業は製品機能が優れている、儲けている、から人道的評価軸で製品・サービスが選択されるだろう。それは、株主重視から、顧客、従業員重視へシフトすることも含意である。

・・・「商人賢なれば国家の繁栄保つべし(渋沢栄一)」

<参考>
1. 日本の近代 11 企業家たちの挑戦
2. ケース・スタディー 日本の企業家史

photo (c) Maco


December 1, 2006

製品開発

製品やサービスの開発に一般解は存在しない。しかし、その企業の構成員により決定された案件であれば、おそらくそれが正解である。時に、声の大きな人の一声で決まってしまうことがあるが、それも正解の時があるのが経営学の妙といえる。
未来製品・サービスのアプローチでは、成されるディスカッションが発散しないように注意すべきである。ある製品の未来について、その構成部品のおおよそ5年後と社会、規制のおおよその10年後、その製品が使用される想定シーンが2年後では、アンバランスで、製品・サービスは顧客に受け入れられない。この辺のロジックをまとめるにはTRIZの進化の法則が良く出来ている。

技術者は革新性を求める嫌いがあるが、最終決定者は顧客である。

なぜ売れたのか?それが製品・サービスの開発に依るとき、その企業の開発チーム、キーパーソンに着目することが多い。これは、組織学、心理学との融合だといってよい。

シャープの液晶テレビも途中でテレビ事業から撤退していれば、電卓戦争で終わっていたかもしれない。家電で巨大企業である松下は、いまだに巨大である。その昔は、ホンダのアメリカでの成功物語が有名である。

リーダーシップ、先見性、戦略、マーケティング・・・分析するには好適な用語である。我々MBAは失敗しない選択をすることが出来るであろう。だが、失敗しないことは持続的競争力を保つことには少し寄与率が低い。

確かに、「真剣にやらないでできるものはなに一つない(ゲーテ)[1]」「不屈の精神」などが前面に出されることがあるが、私の経験から、そのチーム、キーパーソンを突き動かす背景は、宗教者の「使命感」とは異質な「単純な好奇心」である。最先端、未だ解き明かされていない課題に興味がないわけがない。技術者がMBAの背景に突き動かされると、いつかは破綻してしまう。

生涯にわたり、プロジェクトXを出来る人はまずいない。

・・・しかし、「単純な好奇心」旺盛な成功チーム、リーダーは周囲の個性を消してしまうこともある。

<参考>
[1] ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代〈上〉
ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代〈下〉

photo (c) Maco

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