燃料電池の応用

2007年1月5日

t f B! P L
年末年始の掃除で左の写真が出てきた。学生時代に研究していた学会の要綱(だったかな?)である。素材は太陽電池に使用されている半導体で、基礎物性を調査していた。

さて、本題は燃料電池である。現在は車にも応用研究がなされ、多くの課題は残すものの、化学系の理想解である電池に期待が高まっている。電車でも試験走行がなされている。

私は電車への適用は疑問視している。車は環境面(石油資源の枯渇と排気ガス)から考えても、そもそも経済性を優先してしている製品であるから取り組んでいかなければならないが、電車でのメリットは架線やパンタグラフを必要としないなど、コスト面が強い。維持費用を考慮すれば納得であるが、顧客にメリットはない。そもそもが電気エネルギーなのだから(原子力発電所の是非は置いときます)。

車はもともと可燃性の強いガソリンを搭載しているため、車メーカーは事故の際の設計技術を有しているが、床下に燃料電池(水素タンク)、屋根上にリチウムイオン電池を搭載した電車の安全性は、JR西日本福知山線での事故に身近な人がいたことを考えると、電池に関して素人でない私が考えても、十分に時間をかけていい技術課題である(車は固体高分子形燃料電池が主流なので水素タンクは(バスなどを除いて)乗用車向けではない)。水素は酸素とは異なり、自身が燃えてしまうのでタンクの破壊は考えるだけでも恐ろしい。まだ、屋根上にリチウムイオンが搭載されているのである。消火活動は出来るのだろうか?
言えることは、JR西日本級の事故が起こった場合、あのマンションの一部も(爆発により)破壊されるということである。海外に目を向けると、格好のテロの標的である。

もうひとつの問題は技術者である。日常種々の電池は目にするが、電池の素材を開発できる技術者は意外に少ない。車メーカーも電池製造企業から技術者を確保したことがあるほどである。イノベーションの観点から長く製造販売している企業のノウハウは、新規の企業には模倣できない、となるとノウハウを持ちえている企業は数社もない。クリステンセンの論理は日本の企業には当てはまりにくいことを考えると、技術課題のほかに、人的資源の課題も切実である。

そもそも、何かしらのエネルギーを電気的エネルギーに変換していくことが、この問題の論理である。電気的エネルギーを使用している製品に燃料電池は必要か?という疑問は残る。原子力発電所の問題もあるが、それは、この論理には枠が大き過ぎる。生活全般で関わっていく問題であるからである。

しかしながら、電池では、マンガン、アルカリ乾電池から始まり、取り扱い困難といわれてきたリチウムを使用し、さらにはリチウムイオンとして安全性を確保してきた。
目を転じると、技術課題のブレークスルーにより多くの便益をもたらしてきた経験を日本の技術者は持ちえている。

・・・ツェッペリン号を忘れてはならない。

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