「権威」の判断

2007年3月26日

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私は現在休養中である。いわゆる、ぶっ倒れてしまったわけである。20代の頃の様な無理は出来なくなっていると感じつつ・・・、家で休養している。しかし、あの病院の点滴はなれないものである。数時間、動きがとりにくいことは心地が悪いものである、とはいいながら、症状が軽くなるので我慢、我慢である。

そう考えると、透析をされている方の忍耐にはかなわない。医学に素人であるからか、何とか飲み薬や、せめて注射で済むような方法はないものかと、点滴を受けている間考えていた。と、同時に腎臓の機能を機器に相当させると、あれほど大きな機器になるのかと感じていた。

通常、医師はレシピエントの利益を優先させる。最近、報道が多くなっている腎移植の問題であるが、「マスメディアは、病院側の報告書に批判的だ。調査委員の「権威」のなさを問題にする声も小さくない」(日経ビジネスアソシエ2007.4.3号p15)。

「権威」が正常であれば、全くの問題もないことである。名誉や立場での権威は必要であるが、第一は正しい判断が出来るかどうかが「権威」の所以であるはずである。記事では日本移植学会の理事を務めたことのある人物についても記載されている。私には、この人物の是非はわからないので記事の引用まで。

どこの世界でも「権威」は存在する。彼の(彼女の)意見は絶対である。明らかにフェアではない意見、否、間違った意見であってもその「権威」が正しくする。祭り上げられた彼ら、彼女らは自身の感覚、アンテナが錆付いていることに気付かないことが多い。

・・・そもそも「権威」は必要なのか?

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