社会人MBA-技術者編

January 31, 2007

背景と大意

何事もその背景、大意を知る、という行為は論理的行為である。企業では、顧客満足、生産性向上のスローガンのもと多くの運動が展開される。「顧客満足」の定義を最も満たす手法はQFD(品質機能展開)である。これは、1960年代から試行され、その後本格的に展開が始まった。その時代は、右肩あがりの時代で、生産すればモノが売れる時代である。戦前の安かろう、悪かろうの模倣品生産から高品質へ脱皮した。現場ではすでにQCの展開も始まり、デミング賞なるものが権威を持っていた。デミング賞を受賞することは、「高品質品生産工場」を意味するほどである。次期の売上高が高くなることがわかっているのだから、種々の生産性を向上して、固定費用を削減するのは当たり前のことである。

さて、右肩上がりの成長も終焉し、空白の10(15)年を味わい、旧来のビジネスモデルが通用しなくなった現在、未だに、これらの手法を「銀の弾丸」と考える強い傾向がある。

さらに、「イノベーション」の意味もわからず、革新、革新と騒ぐ傾向も強い。

変えなくていいところは、変えなくていいのである。
トヨタはカンバン方式をずっと行なっている。まさか、マス・プロで有効だと言われている手法を採用することはない。
3Mの研究開発を真似て、15%ルールをそのまま採用する企業もあるまい。

そのような節操のないスタイルは信用されない。

手法や経営には流行はあるが、その時代背景、企業文化を鑑み、手法の大意を知った上で、導入するべきである。手法の効果は、その手法を生んだ企業が最も享受するのである。従業員へは、手法を覚えさせるより、考えさせよ。そして、自社方式で運営するのである。それが一番騙されない。コンサルタントはクライアントが儲かろうが潰れようが関係ないのであるから・・・。

・・・隣の企業が導入しているからといって、採用する尻の軽さは、現場を見て回る腰の重さと交換するがよい。


January 30, 2007

郵貯残高190兆円割れ

郵貯の残高が190兆を下回った。ピーク時は260兆円あったらしい。記事によれば「長引く低金利で郵貯の魅力は薄れ、預け入れから半年たてばいつでも引き出すことができる定額貯金を中心に残高が減り続けた」らしい。さらには、「投信など個人向けの金融商品が多様化しており、個人マネーを郵貯にとどめるのは難しくなっている」と指摘している。

リスク分散は、個人により異なる。近い将来、家を購入する予定であれば、ローンを組むことを考えた運営が大切であるし、特に何もしないでも「減り」はしない。金融商品は「減る」可能性はある。そのリスクを背負う分、現在の金利よりは高い。株を買わない証券会社の財務体質がいいように、これも運営である。
中には、さらにお金を儲けるほうが簡単だという方がいらっしゃるかもしれない。「お金」に関しては、トレンドとして、その行動が次の法律では違法になると予想される場合が、最も儲かるパターンが多い。

要は、これからとる行動の「価値」にいくらの利息がつくかである。それは、財務的価値であれ、労働的価値であれ、かまわない。働くことが好きな方もいらっしゃる。利息は「お金」に限ったことではない。

・・・せちがらい世の中、たまには、お金の報酬以外の利息を求めてもいいんじゃないだろうか。

<記事>
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070130AT3S3001N30012007.html


January 29, 2007

談合から考える

経営スタイルにおいて、日本にアメリカ式は合わない。アメリカ式が「良い」とか「悪い」といった問題ではなく、そもそも文化が異なるのであるから仕方がない。なぜ、未だに模倣しようとするのであろうか?

マーケティングがわからないマーケッターの情報を戦略が立てられない経営陣が重宝する。数百万個に一個のエラー率しか出さない優秀な日本の技術者は、その技術が万全であると勘違いしている。
もともと、発展してきたビジネスが、短期間で回収できるビジネスシステムではないのに、四半期の業績を重視し、リスクを背負わせ、責任を被せる。実務の現場では一体何人が倒れただろうか?

どうしてしまったのだろうか?

少し観点を変えて、日本独特の談合のシステムを考える(談合はしてはいけません!!)。
製品・サービスは、価格競争に入ると終わりである。儲からないので撤退しかない。
談合なきシステムは、まさに、終焉への投票である。だから、業界を守るために行なわれ始めた。日本の複雑な流通と同様、談合は外的(日本国外から)には、高い参入障壁となるが、内的には、産業の発展が鈍化する傾向にある。
が、産業の発展が鈍化すれば、それだけ長い期間、衰退期へ入ることがないので、好都合なシステムであった。製薬では最も言えることだが、企業が何年もかけて開発した技術が、いきなり価格競争に入ってしまっては、開発費用の回収が出来ない。ジレンマである。

そういった意味では、最初に高いプレミアムを払ってくれる顧客が、間接的にではあるが、イノベーションの源泉となっている、とも言える。これがなければ、企業は開発をしない。ありきたり技術の集合体であるアーキテクチャーに魅力あるものは少ない。(少し議論がリニアになりましたが・・・)

「良いものだから安いはずだ」は大きな勘違いである。
ならば、日本はカローラだらけになってしまうではないか(実際1位ですが・・・)。

・・・良いものだから、安くなっていくのである。


January 28, 2007

レンタルビデオはハイリスク

レンタルビデオ(CDなど)はTSUTAYAをよく利用している(最近はめっきり利用頻度が落ちているが)。学生時代は、近くのレンタル屋でよく借りていたことを覚えている。学生にとっては、シングルCDを¥1,000近くで購入するのは高い買い物であった。アルバムは好きなアーティストに限定していた。

さて、少し見方を変えてみる。シングルCDをレンタル屋が¥1,000で仕入れているわけはないのだが、大よそ、¥600だと推定する。顧客がレンタルすると、¥150程度費用がかかるとすると、金利25%!こんな株券は聞いたことがない。

が、ご存知のように、毎日アップされるタイトルの中から、どれを選択するかで儲けが決定してしまう。
ハイリスク、ハイリターンである。

ビジネスとはその業界(カテゴリー)の流れをつかむことが重要で、底流のシステムは何なのか?という理詰めである。この底流がわからないと、枝葉末節にとらわれ、無駄なコストを発生する。
組織は人間の集まりである以上、○○の顔が立たない、社長が言っているから、などは必ず発生する。これを最小にしていくかは構成員の能力、というよりは、特性による。

・・・学習を忘れた組織(構成員)は、その瞬間から縮退がはじまる。


January 27, 2007

華麗なる一族

『華麗なる一族』の視聴率が高い。
あのドラマはいわゆる阪神間のお金持ちの話である(職業はさておき)。関西の方にはなじみの深い「甲南漬け」。そう、一貫して甲南(大学など)、といえばお金持ちの代名詞である。

空調がない時代でも、その周辺の家には、空調が取り付けてあった。これも凄いが、なかでも、凄いのは、空調なんてやっぼったいものは取り付けず、夏、冬用にそれぞれ家を持ち、夏には、六甲から冷気をパイプで送っていたという。

・・・おそらく。。。本当の金持ちは、テレビに出ない。

photo (c) Maco


January 24, 2007

責任負債

企業が大きくなると、命令系統が増加する。仮にトップがある命令をしたとする。それは組織の下位に伝わり、作業者へタスクとして振り分けられる。このとき、厄介なのが、誰も責任やリスクをかぶらないからである。

製品開発で言えば、トップは利益を増加させたいのに、指示系統でリスクを誰もかぶらないので、研究者、開発設計者へのタスクは、「No1で、Only1、かつ最安値」と、おおよそ、ビジネススクールでは及第点をいただけない、また、議論では相手にされないようなことが起こってしまう。結局、背負うべき人が責任を回避する、負債にしてしまうので・・・しかし、これは負債であるので、誰かが返さなくてはならない。結局、末端までのびのびになり、わけのわからないタスクになってしまうのである。これを、責任負債と呼ぼう。

責任負債満載の研究開発は大変である。
なぜなら、それは、返すことが出来ないからである。
サラリーマンが一生で家2件購入できますか?実生活で、2人分の(2倍でもいい)借金の返済もできないのに、これを返すことは出来ない。

というのも、何を作っても難癖がつき、○○だから利益が上がらない、と負債者のせいになる。

逆の場合もそうである。技術が強すぎると、○○だから利益が上がらない、と販売、経営方針のせいになる。こういう傾向は、技術が競合から遅れることとなる。

・・・こういった企業でのイノベーションの成功確率は16%(実証研究での値)さらに下回る。そう、ほとんど成功しないと考えてよい。


January 23, 2007

安全第一、機能第二

ついこないだのようだが、デルが電池をリコールしてそう長くはたっていない。ふと思い返してみた。ソニー製の電池・・・特に、ソニーというわけではないが、デルは何を保障していたのだろうか。納入するには、事前の試験があるはずである。ある製品のあつナットが折れて、ナットを製作している会社に回収させるだろうか?いや、今回の事故は人に及ぶと大変なことになっていたからであろうか?
ソニーで合格となった電池、デルで合格となった電池、品質保証とは何なのだろうか。どのようにしていけばいいのだろうか。今や、ppmオーダーのミスさえ鬼の首を取ったように責められ、何百億という損害を被ってしまう。生産しないほうが、損をしないかもしれない。

PCはどうだろうか?
最近、職場でPCがクラッシュした・・・二人も!
最近、サーバーのハードディスクがクラッシュした・・・100G近くが消えた。
最近、実験測定用のPCが暴走した。つい、2,3ヶ月前も暴走した。

もはやppmではなく%のオーダーである。が、人が怪我をすることはない。

ファンヒーターはどうだろうか?
これは、電池どころではない。医薬品なみの注意が必要である。

このように製品の事故の際の人への影響で、不良率は決定する。

・・・安全第一、機能第二、である。


January 22, 2007

えぐってます。

今日はビジネススクールのリポートです。
えぐってます。文章にコンテキストもくそもありません。論理構造もだんだん気に入らなくなってきました。

・・・えぐってます。


January 21, 2007

奇跡の食品

技術者がMBAを取得しようが、製品・サービスの利益創出予測は不可能に近い。他と比べても、ほんの数%の高い確率で精度が高まるに過ぎない。おそらく、その行為を何度も挑戦できる組織の持続性を維持するタスクがメインである。

社内においても同様である。技術者と企画の予測精度はさほどかわらない。企画どおりにヒットした商品もあれば、技術者が無理に商品化し成功した商品もある。

「奇跡の食品」といえば「カップヌードル」(日清食品)がイメージされるが、実はこれは同社の「カップライス」である。安藤百福氏(1910-2007)は75年に同商品を開発した。前評判は最高で、政府の後押しもあったが、消費者には受け入れられず、投資金額が回収できなくなった。生産中止である。

「カップヌードル」の前身「チキンラーメン」は58年に商品化された。前評判は最悪で、食品問屋は、「値段が高すぎる」、同社技術者は量産化へ難色を示していたという。

「カップヌードル」でさえ、前評判は散々であったという。

このようは例は枚挙に遑がない。

何が売るれかわからないのであれば、失敗した商品開発の知識、知見を累積するしかない。そのような企業文化を企業のアイデンティティにすることが、成功確率を高めるために、従業員へプレッシャーをかけるより現実的である。

失敗しないのは少しの改良である。が、少しの改良は、利益をほとんどもたらさない。
大幅な改良は、製品にリスクを背負わすことになる。不具合が出れば、出来損ないの商品企画は、技術者に責任をなすりつけるであろう。逆に、売れなければ、傲慢な技術者は企画、販売部門へクレームをつけるであろう。

最悪な組合せは、傲慢な技術者、出来損ないの企画のどちらかに絶大な決定権が加わることである。

経営者は気づくべきである。現在、最も優先されることは、技術力、企画力を向上させることではない。企業精神を高めることである。あなたが、○○を商品化せよと言えない立場なのだから・・・

・・・経済的競争から人道的競争へのシフトが出来ない企業は、必ず衰退する。


最後になりましたが、安藤百福氏の御冥福をお祈りいたします。

<参考>魔法のラーメン発明物語―私の履歴書

photo(c)Maco


January 18, 2007

経営倫理

企業の不祥事は、その企業の存続を左右する時代である。社会的責任を果たす(または社会の公器)企業であるゆえ、その責任不履行に対するペナルティは厳しい。
不祥事の際、鬼の首を取ったように、経営者を責める行為は見苦しいが・・・。テレビ局であれば、スポンサー企業の不祥事にも同様の対応ができるジャーナリズムが存在するかはわからない。せいぜい、「不祥事は許されぬ行為であるが、対応が素早く、緊急時の対応が優れている」とでも言うだろう。例え人が死んだとしても・・・

何もかもが経営者の責任として追及されることは、最終的には、そうであるが、おそらく、経営者は現場の課長レベルの決済のいちいちにコミットメントしているはずがない。企業が大きくなればなおさらである。それを、「なぜ把握していない」と攻め立てる。

経営者を擁護するわけではない。そこは、攻めなければならない点ではないのである。経営者へは、どうしてそのようなことが発生する企業文化になってしまったのか?と問うべきである。

日本監査役協会の資料に「企業不祥事の発生要因に関するアンケート結果」がある。これによれば、その要因の第一位は「行き過ぎた業績至上主義」である。経営者の周りには、お金を右から左に流して、儲けようとする者があまりにも多すぎる。あのアメリカでさえ、四半期ごとの業績で判断するのはどうか、という空気になっているのに。。。

消費者は安い価格を求め、株主は配当を要求する。ともに企業にとっては「引き算」である。従業員へ圧力がかかることはいうまでもない。

この議論には回答がない。そのような例に該当する企業のビジネスモデルが古いのかもしれない。本当は、経営者が不祥事を認めていたかもしれない。

しかしながら、現在のように、経営者を責めるということは、多角化している大企業のその商品と関係のない事業にいる無関係の従業員の生活権を奪うことにも繋がる。経営者は経営者の責任不履行に対する対処で十分である。無関係の商品を購入してくださる顧客、従業員に影響が及ぶことは、力学が傾きすぎている。

・・・経営倫理は誰もが考えなくてはならないことではないだろうか。

<参考:アンケートに関して>
経営倫理p76参考。


January 16, 2007

境界線上の製品開発-マージナル・ゾーン

製品・サービスの開発は、種々の機能を付加するようになってきた。例えば携帯電話では、通話、メール、カメラ、インターネットなどのほかに辞書、予定表など、それはミニマムPCかもしれない。

すでに、ひとつの企業が提案できる機能では満足されなくなってきている。機能が増加すれば、かつそれを満たすための技術が、当該企業での従来のコンピタンスと比して関係が薄ければ、他企業、大学など企業外との連携が必要になる。

例えば、ある領域A(学術で言えば、電気化学、応用物理などの異分野)からの研究開発成果により製品が開発されていた事に対し、別の領域では、異なった製品が開発されているとする。これが、機能の増加により、AとB分野のそれぞれの知見が必要となったとする。

A(B)の領域を主体とする企業はB(A)の領域に近づき、A(B)の領域ではなくA∩Bの領域から製品が発生する。このマージナル(周辺的な)な開発を行なうことから革新的な技術が生まれる。この場合、開発者は自由な価値体系を要求される。
開発者が求める品質を写像するとき、最終的には製品へ投影されるが、その中間が従来のサプライヤーや付き合いの長い大学であることのほうが確率が低い。最初にそれを解決できる領域へ写像し、いくつかのノードを経て、サプライヤーへ行き着いたり、新規のサプライヤーへ行き着く。
その中間のエリアがマージナル・ゾーンである。
最近は、これをオープン・イノベーション*といったり、C&D(R&DからConnect&Development;下の書籍にてP&Gの事例紹介)*、リードユーザー(ヒッペルなど)が・・・と言ったりしているが、要は同じことである。これらは、そのやり方を説明したに過ぎない。このエリアでの開発がはじまると、それは、不連続な技術であることが多い。例えば、同じウォークマンでもテープとMDではウォークマンを設計するチームの技術は連続的(改良型)の発展ではないことは明白である。

・・・しかしながら、マージナル・ゾーンでの開発行為は、必ずしも利益に結びつく一般法則ではない。

<写真>
コクヨS&T株式会社 レーザーポインター(IC-GREEN)

<注>

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January 15, 2007

イノベーションの収益化

日本の研究開発効率は低下している。これを計量した内容が掲載の書籍に見られるが、製品開発に携わっている者の実感としてもよく感じる。効率が落ちるというよりは、利益を創出する期間が短いため、次々に商品化しなくてはならず、分母が大きくなっている感がする。

この変化は、イノベーションの課題が変化していることが挙げられ、
①プロセス→プロダクト
②連続的→不連続
③アーキテクチャが所与→その変化を含むイノベーション
としている。

この議論は非常に難しい。右だといえば、左だ、長いといえば、短い、など、分析の整合性において、自らの主張を裏付ける製品は多すぎるためである。簡単な話、クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』はよく売れているそうであるが、日本の企業には当てはまらないことのほうが多い。松下、ソニーなど多くの企業が破壊的イノベーションに対応できている。ソニーは何かと語られるが、例えば、記録メディアとしては不連続な技術が連続しているにも関わらず、ウォークマンはテープ、MD、CD、半導体と非常に対応できている。半導体でも成功している(トップシェアを取れなかっただけで、利益が出てれば問題ないのである)
        


学者にも限界がある。企業の実情は学者にはわからない。開発経験がないのだから。
しかしまた、実務者の限界は、体系的に考察できないことである。学術経験がないのだから。

こういった面で、コラボレーションであるビジネススクールの意義は非常に大きい。

・・・右方上がりの成長から、先が読めない現代では、こういったどちらとも取れない(学者&実務者)場が必要ではないだろうか?

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January 12, 2007

松井シンドローム

ヤンキース、レッドソックス、今年は松井、松坂の対戦を見ることが出来る。彼らの対戦で重要なことは・・・と記載できるほど野球には詳しくない。主に観るのはサッカーである。

野球の話はしばしば、ビジネススクールにて引用される。「人材教育」について議論するときに例に挙げられる。「左の大型を補強」、「右のストッパーが必要」・・・などである。
野球では、必要な戦力を明確にするが、企業ではどうだろうか?現在、○○部では、ある製品の周辺に詳しい従業員が必要、この基幹部分の生産管理が出来る従業員が必要、などはあまり聞かない。教育システムもスキルアップ講座は数多くあるが、大企業になるほど業務が細分化されているため、必要なことは自分で身につけるしかない。

右肩上がりの時代とは異なり、(先輩の言うことを身につけるだけという意味で)優秀な従業員はいらない。ある部分での第一人者が必要であり、自身の生涯教育もそうしていくべきであると考えている。

そうなれば、従来のマネジメントは通用しない。彼らより、その分野に詳しいマネージャーである必要がなく、そのマネジメントにおいて、彼らより有能であればよい。

その「有能さ」の測定系は、良心的な職業的態度である。第一人者の彼らが、同様の能力には魅力を感じることはないからである。

部下はスキルに磨きをかけ、マネージャーは良心的な深みを増す。
今後、企業の競争軸が経済的競争から人道的競争へ転換されていくことを考えれば、トップに向かっていくほど、倫理を備えていなくてはならない。

そのマネジメントで重要なことは「松井シンドローム」を脱することである。ある第一人者が抜ければ、その部分のカバー率は低くなるだろう。しかし、彼(or彼女)より能力の低い人でその部分を埋めようとすれば、総力として、残りのメンバーが成長しなくてはチームは維持できない。ライフサイクルの短縮化が進む現在では、「成長待ち」は開発行為が結実することより成功確率の低い賭けである。現在いる人員で最大の成果を引き出すことを主眼に置くことが、変化に対応できるマネジメントである。

松井の穴は松井でしか埋められない。松井がいなければ、その野球のスタイルの変更を考えなくてはいけない。一見、当たり前のように語られるこの事実は、意外にも企業では「伝統だから」「昔からそうなんだ」と従業員の構成が変化しつつも旧態依然のマネジメントがはびこっている。

・・・形骸化した「伝統」と「格式」は「悪弊」でしかない。

*   *   *
最近掲載している、大阪キタ周辺の写真は、以下のURLで公開しています。
暇つぶしにでも立ち寄ってください。
http://picasaweb.google.co.jp/photoR.T


January 11, 2007

複雑性への対応

「複雑な現代社会」とはよく聞くフレーズである。
技術においては、それらを統括できるのは設計である。成熟化とともに技術は複雑化する。一つの因子を変更すれば、交互作用も含み、多くの因子に影響を与える。現場では、最適化が行われる。このことにあまりにも執着すると、経験と勘に頼るものとなってしまい、製品は硬直する。いずれは、単純化された技術が現われ、それまでの技術を陳腐化する、とはアルトシュラーが多くの特許を分析し技術傾向としてまとめた一つの法則である。

組織で言い換えると、このことは「利害」が絡みあっているといえる。
硬直した組織は死んでいる。死んでいる組織からは利益は出ない。しかしながら、利益優先、効率追及に流されると、無責任構造を助長してしまう。これは、マネジメントが死んでいる。組合員でないかぎり、マネージャーは降格した方がいい。経営者であれば、懲戒免職扱いにしたほうがいい。彼らは、部下の良心をクイモノにするからだ。
効率を上げたところで、リストラが行われる。再び、効率を上げろと命令し、効率が上がったところでリストラをする。このゲームは長くは続かないはずだが、数年で任期の切れる経営者はこれを歴代に続ける。相変わらず利益率は変わらない・・・。

とは、今後どうするのか?というケースでよく扱われるものである。

経営者は「利益」が測定系である。利益向上は売上を増加するか、固定費用を削減するしかない。
上記の例も仕方がないのかもしれない。顧客、株主、従業員を満足させる最適解を導くことは難事である。

・・・「現実が複雑で単純な原則で割り切れぬからこそ、良心的な判断、良心的な職業的態度が求められる」(岡本浩一)」

<参考>無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略


January 8, 2007

small-world

「広いようで世間は狭い」、スモールワールド現象とはこのようなものである。有名なのは、Milgramの実験(1967)で「6次の隔たり」という概念である。例えば、あなたはある神学者の妻は知らないが、手紙やメールで知り合いを通じてその人に行きあたるまで、平均すると6回であるという。

ex)(あなた)→(友人)1→・・(友人)6→(神学者の妻)

これらには、特徴があり、経路が一部のノードに集中(scal-free)、経路が集中するも頭打ち(broad-scale)、経路の集中するノードほど数が減る(single-scale)ことが示唆されている(下の文献)。ノードとは例では(友人)、経路とは→(矢印)のことである。実験は多数のスタート点を設け実験した知見である。

製品開発について考えると、特に、電機のような開発設計では、経路、ノードは下の図のようになる。


内容は、さておき、顧客や社会情勢から要求品質が生まれる。それを技術課題に翻訳し、開発者は、学術文献、特許などのノードを利用し、解決策であるオプションを生み出す。それらのオプションを利用した実際の導入策が最終的に企業が採用する。いわゆる、最初の要求品質=解決策は、品質において成立しているのである。

開発設計は、アウトプットからはじまるものである故(学術のように帰納的なアプローチではない)、アウトプットを支えるオプション(特許権に代表される)の価値評価は製品開発活動にとって意味はない(企業の資産で無形資産の観点では、意味があります!)。

それは、成立するまでのタイムラグに由来する。直感的に、左から右に進むにつれて、コストがかかることがわかる。製品開発活動では、導入後の早い時期の価値を把握したい。特許権成立後では、その技術は陳腐化しているかもしれないからである(電機のライフサイクルを考えると)。

製品開発論になってしまったが、small worldの観点からは、拡大解釈すると、「あなたが望む商品は、誰かがどこかで開発している、いや販売されているかもしれない」ということかもしれない。

・・・ということは、技術者の課題も誰かがどこかで解決策を有していることになる。いや、最新の課題であっても、世界で誰かが気付いているのである。

<参考>
*L.A.NAmaral, A.Scala, M.Barthelemy, and H.E. Stanley, "Classes of small-world networks", PNAS(www.pnas.org), 2000.
Wikipediaにも詳しい。
*図は筆者作成。

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January 7, 2007

就職活動-入社当時が懐かしい。

今年4月に企業に入社する方々は不安と期待で複雑な心境であると思う。
何をしたらいいんだろう?遊び疲れる?資格?英語?

ここまできたら、あと数ヶ月で成し得る事は少ないと思う。入社後の業務への取りくみはこれまでの経験が出るもので、どういう状態であったらいいか、悪いか、いや、この評価軸が正しいのかさえわからない。学歴もあまり関係ない(学閥がある場合は仕方がないが)。

ビジネススクールで学歴を聞きあったことは全くない。○○さんはこの分野に強い。△△さんは論理的である、など企業同様、何々大学の○○さんとは呼ばない。いや、××社の○○さんとも呼ばない。○○さんが優秀であることから、その人が勤めている企業は優秀なんだと思ってしまう程である。企業の一線で活躍する集団ではこのようなことである。

また、入社時の同期との差はほとんど考えないほうがよい。そもそも、これから対外的にも不平等な競争が始まるのである。結局、3年、5年・・・と経てば、地道に努力を重ねているものが信頼される。信頼されれば仕事が任される。仕事は経験である部分が大きい故、結局差がついてしまう。努力・・・使い古した言葉かもしれないが、天才でさえ努力を怠らない。いや、天才であるがゆえ、その才能を維持する努力は私には想像がつかない。

私の経験が役に立つものかどうかわからないが、入社して数年心がけたことがある。
「朝は人より早く出社」そして、
「決して、陰で愚痴らなかった」ことである。
(今ではフレックス、またグチグチ言ってしまっているが・・・)

ともすれば、上司がどう、同僚がどう、他部署の人がどう、と騒いでしまうものであるが、これは絶対やめたほうがいい。仮にあなたが言ってなくても、周りの人はそうは感じない。そのような場面にいても「いや私は新人なのでわかりませんよ」「いやいや、まだまだ勉強段階なので」と愛想良く(このフレーズは嫌味に聞こえるかもしれないので)言っていたものである。将来的にこのことは大きな布石になる。「誰に対しても公平」なのである。言いか悪いか分からないが、個人の特徴である。その特徴が活かされるプロジェクトや業務では、あなたは採用される。私が30近いプロジェクトを担当できたことも、このことが大きいと思っている。

とにかく、最初が肝心。若いときは「信頼」しか武器がない。十年選手に仕事ではかなわない。与えられた仕事は誠実にすることである。わからなければ、あなたがこの人と思う人に尋ねればいい。分かることのほうが少ない時期に、いい先輩を見つけることも大きな仕事である。

朝早く出社する人がいても、
「彼は朝早くから優秀だねぇ」とも
「彼は朝早くから来て何してるの?」
とも解釈される。信頼されていれば前者である。

そう、今必要なのは心の準備である。
(英語はグローバルに展開していなくてもネット環境を考えると、学習したほうがいい)
・・・企業では経験も大きな財産である。信頼されなければ経験はできない。しかし、Life-long learning commitmentの涵養を心がけることは、新入社員もベテランも共通のことである。


*  *  *

ちなみに、本日『大阪くらしの今昔館』へ行ってまいりました。8-10Fに大阪の昔の風景が再現されております。当時の電化製品やミシンも展示してあり、非常に興味深いものです。地下鉄谷町線・堺筋線、阪急線「天神橋筋六丁目」駅下車ですが、大阪キタからであれば、天六なので徒歩でも十分歩ける距離ですので、ブラブラがてらどうでしょうか?

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January 6, 2007

就職活動-超氷河期といわれたことが懐かしい

私は、超氷河期と言われる時に卒業しているので、現在の就職活動の状況に明るくない。また、幸運なことにあっさりと決まってしまったので、超氷河期はあまり体感していなかったと言ってよい。
最近は開始時期が早くなり、もう今では活動真っ盛りである。

企業を選択する基準はいろいろあると思う。
知名度、働きやすさ、やりがい、自身のバックグラウンドが活きる職業・・・

いくらネットが発達したといっても、学生が企業の内情をつかむことは困難である。現在では企業は就職を希望しようと、しまいと学生も宣伝対象であるが故、ドロドロした内情、学閥、ワンマン、などマイナスイメージになることはまず言わない。

例えば、電機に就職した先輩が嘆いていた。
「俺っていったい何しに来たんだろう・・・」

彼は、入社1年目に営業、サービスなど外回りを職務にしており、開発設計者として入社したが、1年間いったい何をしたんだろう、となるわけであるが・・・

この話が「○○社は入社しても仕事はさせてもらえない」と話が大きくなるのである。

企業からしてみれば、いや電機の多くが導入教育で生産現場、営業現場でいわゆる「現場」を体験させることを奨励している。はっきり言えば、「出来る者は単純作業でさえ、よく出来る」のである。
「出来る」とは様々で、単純作業の仕方もあるが、周囲との人間関係の構築の仕方(生産現場に入れば、おばちゃん、おっちゃん、怖そうな職人、管理者など人間模様が様々であるが故)、日々の日誌の内容(論理的か美辞麗句ばかり並べていないか)、など総合的なもので配属された部署にもよる(入社後教育期間は人事部預かりとなる場合もあるので配属予定先には情報が伝えられないこともある)。

ということで、この部分の誤解は解けたのではないかと思う。
また、最新であることに意味がある職業以外では、1年目の力量は限られる。

「あぁ合わないなぁ」と感じても・・・
企業がどのように成り立っているのか?
対外的にはどのように情報を発信しているのか?
製品・サービスを生みだす源泉はその企業ではどこにあるのか?
従業員規則は?

など、2,3年研究してみてもいいかもしれない。特に将来、独立を考えている方であれば、大手企業での数年ほど貴重なものはない。企業の成り立ちを給料を頂きながら学べるのであるから(内部情報を持ち出すと罪に問われます!)。。。付け加えると、ビジネス・スクールも3年程度の社会経験を有していることが条件となることも多い。

・・・企業には3種類の人がいる。いなくていい人、いてもいなくてもいい人、絶対いなくてはならない人。
寒い中、様々な不安を抱えながらも就職活動に取り組む方々に幸運あれ!

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January 5, 2007

燃料電池の応用

年末年始の掃除で左の写真が出てきた。学生時代に研究していた学会の要綱(だったかな?)である。素材は太陽電池に使用されている半導体で、基礎物性を調査していた。

さて、本題は燃料電池である。現在は車にも応用研究がなされ、多くの課題は残すものの、化学系の理想解である電池に期待が高まっている。電車でも試験走行がなされている。

私は電車への適用は疑問視している。車は環境面(石油資源の枯渇と排気ガス)から考えても、そもそも経済性を優先してしている製品であるから取り組んでいかなければならないが、電車でのメリットは架線やパンタグラフを必要としないなど、コスト面が強い。維持費用を考慮すれば納得であるが、顧客にメリットはない。そもそもが電気エネルギーなのだから(原子力発電所の是非は置いときます)。

車はもともと可燃性の強いガソリンを搭載しているため、車メーカーは事故の際の設計技術を有しているが、床下に燃料電池(水素タンク)、屋根上にリチウムイオン電池を搭載した電車の安全性は、JR西日本福知山線での事故に身近な人がいたことを考えると、電池に関して素人でない私が考えても、十分に時間をかけていい技術課題である(車は固体高分子形燃料電池が主流なので水素タンクは(バスなどを除いて)乗用車向けではない)。水素は酸素とは異なり、自身が燃えてしまうのでタンクの破壊は考えるだけでも恐ろしい。まだ、屋根上にリチウムイオンが搭載されているのである。消火活動は出来るのだろうか?
言えることは、JR西日本級の事故が起こった場合、あのマンションの一部も(爆発により)破壊されるということである。海外に目を向けると、格好のテロの標的である。

もうひとつの問題は技術者である。日常種々の電池は目にするが、電池の素材を開発できる技術者は意外に少ない。車メーカーも電池製造企業から技術者を確保したことがあるほどである。イノベーションの観点から長く製造販売している企業のノウハウは、新規の企業には模倣できない、となるとノウハウを持ちえている企業は数社もない。クリステンセンの論理は日本の企業には当てはまりにくいことを考えると、技術課題のほかに、人的資源の課題も切実である。

そもそも、何かしらのエネルギーを電気的エネルギーに変換していくことが、この問題の論理である。電気的エネルギーを使用している製品に燃料電池は必要か?という疑問は残る。原子力発電所の問題もあるが、それは、この論理には枠が大き過ぎる。生活全般で関わっていく問題であるからである。

しかしながら、電池では、マンガン、アルカリ乾電池から始まり、取り扱い困難といわれてきたリチウムを使用し、さらにはリチウムイオンとして安全性を確保してきた。
目を転じると、技術課題のブレークスルーにより多くの便益をもたらしてきた経験を日本の技術者は持ちえている。

・・・ツェッペリン号を忘れてはならない。


January 4, 2007

2007年はじまる

今年も残り11ヶ月と・・・とベタなことは置いときまして、2007年が始まった。毎年の事であるが、何かと慌しい。MBAも無事に今学期の単位が取得できれば、残すはゼミのみとなる。順調に行けば、9月に卒業である。ゼミのみでは学費がもったいないので、研究に補完的な講義を受講することになるかもしれない。
仕事も相変わらずで、昨年以上に地道な積み重ねが必要である。

特に、元旦に「今年はこれ!」といった決意はない。
が、今行っている事の経過をオーバーホールするにはいい機会である。
これは人それぞれで、三日坊主の私は、12月ぐらいからコツコツと準備を始めていないと、元旦に決意して即行動!ということが長続きしない。

私の中では、少しずつでもコツコツ準備する(何かをする)ことは、物事をうまくいかせるルーチンになっている。休日に一気に物事を行う、という器用なことはできない。研究やビジネススクールでのリポート、試験対策は少しずつ進むほうである。

このことは学生の時の経験かもしれない。学生の頃の試験はまさに一夜漬けであった。院での研究も最初はそうであったが、うまくいかない。あれもやり、これもやり、コツコツと研究してきた成果が学会発表で活かされる。それが積み重なり修士論文となっていった。とかく、あれも、これも調べたこと、わかったことはすべて記載したいものであるが、得てしてそういう文章はわかりづらい。努力賞といったところである。研究成果はこれまで行ってきた研究活動の氷山の一角が現れるに過ぎないからである。仕事が開発職なのもこういう態度が身についた一因なのかもしれない。

・・・いずれにせよ、今年は研究色の強い年である。。