企業の衰退―理念の破産

2011年11月16日

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近年、企業の倫理や理念は旧来に比べ、何かしらの選択の基準に重みを増してきている。

      
*企業倫理、経営倫理などは、ビジネススクールでも扱われ、日本経営倫理学会が主な学術的な場となっている。


「見えざる手」によって経済が成り立たないのか、はたまた、それは情報の不均衡な世界では当然であるのかは、本ブログ運営者では考えがつかない。


が、業績至上主義を背景に企業が従業員を機械化してしまっていたり、リーマンショックに見られた倫理観のない投機行為、今回の原発で見え隠れしている危機管理能力の低さ、など、ここ数年での出来事の重なりが大きいのかもしれない。


大よそ、企業の理念は創業時にその威力が最大化している。時とともに、それは形骸化していってしまうが、組織的には、それを如何に防ぐかが課題となる。

よく言われることだが、イベントの儀式化など、企業が形式化、儀式主義的になっていけば、悪い意味での官僚化は、経営的には高コスト、低効率を招き、経営資源を使い減らしていってしまう。


教条的に理念が大切だとは言わないが、企業には理念の周辺に培われきた文化がある。『うちらしい』ものであろう。

そういった理念・文化をあまりにも無視した運営をしてしまうと、当該企業独特の、または独自の製品やサービスを市場に働きかけることを忘れていく。

内部的には、セクションごとなどの利害の不一致が発生しはじめる(どこもいい顔をしたい、責任はとりたくない)。

“らしさ”を失った製品・サービスは顧客を満足させることができず、潜在的な顧客をも見逃してしまう。


理念の破産は組織の対立を生み、遂には企業を倒産させるのである。


そういった一面もあるのだと思う。


・・・市場での利益率が高いとは言っても、他社でも“うち”でも出来ることはしない。“うち”でしか出来ない事を黒字化することも経営者の腕の見せ所です。

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